私が勤務した場所は、京浜地区と新潟市2回、富山市でしたので、転勤コースは 日本列島横断3往復ということになります。最初は1968年秋の新潟でした。その 4年前に起こった新潟地震の被害の爪痕が市内に散見できる頃でした。当時は降 雪量も多く、家族共々、初めての雪国暮らしをたっぷり味合わされました。

昨年の新潟中越地震には同じ新潟ということで、土地勘もあって、とても他人事 とは思えなく感じていましたが、追い打ちをかけるように19年ぶりという豪雪に 見舞われたことはまったくお気の毒です。思い返せば豪雪に見舞われたその春に 富山へ赴任したのです。3月末というのに、市内でもそこここに山積みにされ消 え残った雪を見ることができました。

4月、ゴルフ場に足を踏み入れた時、木々の枝が折れている風景に驚かされまし た。金沢市の兼六園が有名ですが、樹木の雪つりは冬の風物詩等というものでは なく、生活の知恵であることを納得したものです。新潟市では雪つりの記憶が私 にはありません。枝に積もった雪が風のそよぎで落ちてしまうのに対し、富山で は湿った重い雪なのでしょう簡単には落ちないようです。その後注意してみると、 新潟県でも富山に近い上越では雪つりを見ることがありました。

新潟県で40年を隔てて2つの大地震が発生したわけですが、私が過ごした合計8 年余りの間には地震の記憶がない位で、ほとんど無いと思います。これは4年間 過ごした富山でも同じで京浜地区とは比べものにならないと感じます。にもかか わらず、なぜ工場装置に耐震構造の規制がかけられるのかと思ったこともありま すが、富山でも過去には地震災害があったのです。

1858年(安政5年)の飛越地震と名付けられた内陸直下型地震で、その規模は M7.0〜7.1と推定され、人命、家屋に大きな被害が出ていますが、立山連峰で起 きた山崩れによる岩屑なだれが川の流れをせき止めたことが更に大規模な災害を もたらしています。地震の2週間後と2ヶ月後の2回にわたり、大規模な土石流、 洪水が発生したのです。詳細は
http://www.sonpo.or.jp/business/library/public/pdf/yj217_09.pdf
立山連峰
新潟でも雪解けが、災害に繋がらないように祈りたいものです。

自然の厳しさを秘めている立山連峰ではありますが、その雄姿を市内から眺める ことは、単身生活にとって大変な慰めでした。海越えに3000メートル級の山が見 られる場所は世界でも珍しいのだそうですが、高岡市の雨晴海岸からの眺めがそ れです(写真)。ぜひ皆さんにもこのすばらしい眺望を味わって欲しいものです。 同じ時期に在任していた、堤さん、大塚さんはよくご存じでしょう。

写真説明:中央   剣岳(2998m)、右 大汝山(3015m)雄山(3003m)
       中央下 富山市 煙突は富山火力


2005年4月21日
                                  小柴 禧悦

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