まえがき
 テレビでおなじみの昆虫学者、矢島稔氏によると、日本人は世界中で最も「ホタル」を好む民族だそうである。季節ともなると、マスコミには「ホタル」関係の情報が溢れ、棲息地には人々が殺到する。またインターネットで検索すると、簡単にホタルの飼育や観察に関する詳細な情報や美しい画像に接することができる。
 しかし実際に「ホタルのヒカリ」を見た人は少ない。手に取って観察した人となると更に少ない。棲息地と言っても多くの場合はボランティアが手塩にかけて育てているのだ。折角見に行っても「手に取らないで下さい。」と言われてしまう。
 私は2002年に源氏ボタルの飼育を試みることにした。孫たちにあの優雅なヒカリを見せてやりたい、手にとって観察させてやりたい。リタイアして時間もできたし、庭の井戸水は冷たいので、源氏ボタルを飼育できるかも知れないと考えたのである。
 なお知人のM氏は自宅の広い庭に「ホタル川(ホタルを自棲させるための水路)」を作り、既に何年もホタルの乱舞を実現させていたが、年々数が減り、遂に居なくなってしまったとのこと。そのお手伝いも同時に始めた。
 ※ホタルには多くの種類があるが、通常は源氏ボタルと平家ボタルを指す。平家ボタルは小柄でヒカリもか細いが環境汚染や高温には強い。飼育は楽だがヒカリの魅力は今ひとつである。源氏ボタルは一回り大きく、ヒカリは遥かに優雅で、マスコミで騒がれるのは源氏ボタルである。しかし飼育は非常に難しいことが知られている。
 今から35年ほど前には、水槽で平家ボタルを飼育したことがあり、何百匹も羽化させて、娘たちに見せたり隣近所や知人に配って喜ばれたことがあった。その経験を生かして源氏ボタルの飼育を始めた。試行錯誤を繰り返しながら4年目にして成功した。孫たちには、卵も幼虫もさなぎも「ヒカル」ところを見せ、成虫は手にとって観察させることができた。いくつかのエピソードを紹介する。

採卵・孵化・放流

                  源氏ボタルの卵                    中の幼虫が動いた

      

         中の幼虫が透けて見える
 郊外の棲息地で成虫をオス、メス計10匹ほど捕らえて、ミズゴケを入れた箱に入れておくと、卵を産み付ける。乾燥しないように暗所に置き、20日ほどすると、卵の中の幼虫が動きだし、卵にピクッと2,3秒間突起が出ることがある。胎動である。更に数日すると胎動はなくなるが、卵がグレーになる。顕微鏡で見ると幼虫が透けて見える。そして2,3日。産卵後から丁度1ヶ月ほどすると小さな小さな幼虫が孵化する。
 というと簡単なようであるが、きれいに洗ったミズゴケに産卵させた場合は、ほぼ100%孵化するが、ホタル川の岸に生えているコケに産卵させた場合はほんの数%しか孵化しない。小さな蜘蛛や細菌などにやられてしまうらしい。自然の中の生存競争は厳しい。
 さてM氏のホタル川には餌になるカワニナが多数棲息していたので、この幼虫を放流した。翌年は乱舞とまでは行かないが20匹ほど羽化した。また卵を産ませて孵化・放流したら、翌2004年には50匹を超える羽化が見られた。

 その後、餌になるカワニナの生息数が減って行き、ホタルも減って行った。原因は複雑であるが、簡単に言えば、ホタルもカワニナもデリケートな生物であり、競合する生物や天敵が侵入してくると、生存競争に耐えられないのである。
 新しく水路を作って井戸水を流し、カワニナを放流し、繁殖したところでホタル幼虫を放流すれば、次の年には羽化に成功する可能性が高い。
 しかしヒル・ゆすりか・かげろう・かわげらなどが、いつの間にか侵入してくる。カワニナやホタル幼虫は生存競争に負けてしまうのである。水田地帯の水路は毎年台風で水嵩が増したり、水路の清掃や手入れが行われているが、これが環境を回復、復元し、ホタルの棲息に寄与していると思われる。
 M氏のホタル川で羽化した成虫は採卵後、大阪の孫に宅配便で送った。川崎の孫宅には持って行った。近所の友達やお母さん達まで集まってホタル鑑賞会をした。若いお母さんたちも始めて見るホタルのヒカリに大感激だった。娘婿が言うには、この社宅では僕よりお父さんの方が有名ですよとのことだった。ホタルのおじいちゃんという訳である。
 孫たちに源氏ボタルを見せるという当初の目的は比較的容易に達成した。M氏のホタル川のおかげである。

幼虫の飼育
 源氏ボタルの幼虫は小さく、飼育は難しい。卵は直径わずかに0.5mmである。1匹のメスが500ないし1000個の卵を産む。産む前のメスはでっぷり太ってずっしりとしているが、産み終わったメスの腹は空っぽで、スカスカである。これから推定すると、孵化直後からさなぎになるまでには、体重が2000倍位にならなければならない。小さな幼虫が餌を食べ続けてほんの数パーセントの勝利者だけが親になれるのである。幼虫は親に似ずグロテスクである。


 ちなみに平家ボタルは小柄だが、その割りには大きい卵を50個ないし100個産む。大雑把に言えば体重が200倍になればよい。試行錯誤を繰り返しながら、装置や飼育方法を工夫してきた。最初の年は夏も越させられなかった。水温が上がり過ぎて全部死んでしまった。


        カワニナを捕食する幼虫

 30℃近くになったのである。
 2003年度は1匹だけ冬を越したが、さなぎにはならなかった。
 2005年度(4年目)の12月には、大小の差はあるが30匹ほどが年を越した。2006年2月になると全部がころころに太り、終齢幼虫になった。やや小ぶりなのがオス、大ぶりなのがメスらしい。割合はほぼ半々であった。

上陸と蛹化

 3月中旬の生暖かい晩に上陸が始まった。10日ほどの間に全部上陸した。水槽の中ではほとんど光らないが、水から出るとずっと光っている。気に入った場所を見つけると土の中に潜り込み「土まゆ」を作る。1ヶ月ほどすると土まゆの中で蛹になる。蛹は真っ白で全身が弱いヒカリを放っている。更に1ヶ月ほどすると、蛹の体内で、成虫の体ができて行く。発光器ができてくると、蛹も体内の成虫の発光器部分だけがボーッと光るようになり、オス、メスの区別がつく。オスの発光器は2節、メスの発光器は1節である。

源氏ボタルのオスは幼虫の時から行動的
 ここで蛍狩りに戻る。昔は蛍は捕らえて籠に入れて楽しんだ。今は鑑賞するだけだが、飼育するためにはまずは第一世代を捕らえなければならない。しかし飛び回っているのは、ほとんどすべてオスである。メスは草の陰などに潜んでいるので通常は見つからない。
 メスの体は卵でパンパンに太っていて、産卵だけが使命なのだ。オスは飛び回ってメスを探し交尾することが使命なのだ。
 ところで幼虫が上陸すると、メスは直ぐに気に入った場所を探して潜り込む。ところがオス幼虫はなかなか気難しく、いつまでも歩き回っていて潜り込まない。蛹化用に土を入れた箱を使っているが、時期をみて掘り出してみたら、ほとんどのオス幼虫は箱から逃げ出してしまい、残ったのほとんどメスばかりだった。オスたちはどこかで干からびてしまった。オスが無鉄砲で冒険好みなのは自然の摂理なのだ。

20匹ほどが羽化
 5月中旬に羽化してくれた。ほとんどがメスだった。
 大阪の孫には宅配便で蛹を送ったが、無事に羽化したとのことだった。孫も大きくなってホタルに対する関心もなくなったし、今は小休止しているが、今年は地域の小学校でホタル飼育のお手伝いをすることになりそうである。

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2008年5月2日
                                  松平 忠志(応化会)

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