[!DOCTYPE HTML PUBLIC "-//W3C//DTD HTML 4.01 Transitional//EN" 松井健一の「水三昧」


   2009年10月15日の日経新聞の文化欄に、『「水語」を集めて30年』 と題する記事が出た。この松井は燦々会(藍友会)の松井である。

   この記事に気付いてくれた燦々会ホームページ編集委員の出山 基兄の勧めにより、上記の記事が出た経緯を中心に、松井の「水三昧」を書くことにした。そして、関連資料の数を増やし、それらが本文とリンクできるようにした。(本文中の青色のゴシック体の文字をクリックすると関連資料が表示されます)

  1. 日経記事にいたる道のり

       2009年の7月中旬、松井は丸善から「水の言葉辞典」を世に出した。 出版業界は今、大不況の真っ只中にある。 新聞広告は出なかったが、幸いにも多くの新聞社が記事として取り上げてくれた。 上記の日経の記事はその一つである。

       まず、「水の言葉辞典」は、(8/9)読売・10行記事、(8/9)東京・8行記事、(10/4)朝日・情報ホルダー12行記事、(10/15)日経・文化欄記事に取り上げられた。

       このうち、著者に接触してきたのは日経だけだった。 出版社の丸善を通じて文化部の記者から取材を申し込まれ、10/1、2時間近くのインタビューを受けた。 まもなく同記者からかなり詳しい内容の原稿がfaxされ、内容の確認を求めてきた。それを部分修正して送返した。 それがほとんどそのまま「松井の寄稿」の形になって掲載されたのである。 せいぜい30行程度の記事になると思っていたが、ほとんど圧縮なしの記事になっていた。

  2. 「水の言葉辞典」の生い立ち

       ところで、「水の言葉辞典」は、松井が最初からその目的をもって準備してきたものではない。1960(昭和35)年に旭化成に入社し、繊維、建材の研究開発、製造,全社の技術管理を担当してきたが、いずれの業務も「水」に関係が深かった。 いや、勝手に深いと思ってきただけのことかもしれない。ただ、「水」へのこだわりは人一倍強かったと思う。

       1975(昭和50)年ごろ、仕事のうえで「水」がもつ不可解な性質が気になり、「水の科学」を調べてカードにメモを取るようになった。 そのうちにワープロやパソコンが登場して、事態は急変した。情報の収集手段、そして整理手段までが大きく変わるという「情報処理の激変時代」に巻き込まれたのである。

       目的や領域は種々変化したものの、水に関する情報収集は続いた。 会社勤めを辞めてからも、家庭裁判所の調停委員をしながら水の勉強を続けた。

       日本機能水学会の学術部門を担うウォーター研究会という会がある。 そこの幹事として10数年前から出席させてもらっているうえ、たびたび依頼される講演や寄稿原稿の準備もあって、新しい情報が絶えず入る環境にあった。 そのおかげで水に関する関心領域は、ますます広がっていった。また、「理科系の水」だけでなく「文科系の水」にまで及んだ。

       しかし、古希に達して平均寿命に近づいてきた。 その焦りもあって、ここ2〜3年は情報収集の範囲を広げることよりも整理することに注力するようになった。気が付いたら30年以上経っていたということである。

       「理科系の水」についてはすでに、2冊の「水の不思議」に書いてきた。 また、事典としては、共著ではあったが、「水の百科事典」と「水の綜合事典」(ともに丸善)を書いたので、今回は単独で「文科系の水」も含めて「水の言葉辞典」を仕上げることにした。
    ところが思わぬ問題にぶつかった。 紙数制限という大問題である。そこで「理科系の水」は原則的に削除することになり、さらに、「文科系の水」も項目数を半減せざるを得なくなった。 こういう事情のもとで「水の言葉辞典」に流れ着いたのである。

  3. 「水の言葉辞典」の構成

       「水の言葉辞典」の組み上げかたについては、「水の言葉辞典」の「まえがき」 に記した。その結果を普通の本の章・節に当たる 「掲載項目」 として表示した。その項目ごとに書いた用語が五十音順に配置されている。巻末には全用語を五十音順に並べた総索引がある。この構成は通常の辞典には見られない。

  4. 新聞記事と別の流れ

       各新聞社が独自に取り上げてくれた記事とは別の流れがある。古くから付き合いのある日刊工業新聞社に「水の言葉辞典」の出版が決まったことを伝えたところ、40行ほどの記事(8/31)を出してくれた。 さらに、2時間余りのインタビューをして、(9/28)「著者登場」 の欄に、名詞大の顔写真入りで「水の言葉辞典」を紹介してくれたのである。

       同新聞社とは、1995年から延べ2年半にわたる週1回の連載と、それらをまとめた2冊の書籍「水の不思議(秘められた力を科学する)」(1997年刊),「水の不思議(PART U人類の知恵とサイエンス)」(2003年刊)を世に出してもらったという関係にある。

  5. もう一つの流れ(酒ルート)

       さらに別の流れとして、松井が「酒」に関する原稿の依頼を受け、ときどき寄稿している醸造産業新聞社がある。 この新聞社は、酒類小売店向けの専門紙を複数種類、発行している。 松井が「水の言葉辞典」を出したことを話すと即刻、(7/23)日刊醸造産業速報に26行記事を、また、(8/1)(旬刊)酒販ニュースに本の写真入り26行記事を掲載してくれた。

       それに加えて、「水の言葉辞典」に記載されている酒関連項目の一部を抜き出して紹介するよう、依頼してくれた。それが 「酒と水」 である。これは(10/1)(旬刊)酒販ニュース」に掲載された。

       松井が「酒の造り」に深入りしたキッカケは、平成の初期、旭化成内で酒造りの業務に数年間、関わったことにある。 というのは、旭化成が医薬品メーカー・東洋醸造と合併したとき、その傘下に富久娘酒造などの酒造会社があり、その酒造部門の技術管理の一部を松井が旭化成側で担当する機会を得たのである。その人事を決めた理由をあとでこっそり尋ねたら、「君が一番旨そうに飲んでいたからだよ」。 せめて「白鶴・菊正宗・桜正宗がつくった高校の卒業生だから」とでも言って欲しかったが、残念。

       またまた余談。 行きつけの某居酒屋での話。席に腰を下ろしたとたん、隣の席で飲んでいた見知らぬ客から「お客さん。まず水をお飲みなさい。酒が旨くなりますよ」と。 松井は素直に「はい、そうします。それ、どうしてですか?」と尋ねると、「業界紙に書いてあってね。それ以来、そうしているんです」。双方、それぞれ連れがいたので、会話はそれでおしまい。じつは、松井は 「飲む前に水を」 を「酒販ニュース」に書いていたのである。

       ついでに余談をもう一つ。同紙には 「酒を肴に水を飲め」 という「奇妙な話」も書いた。日本酒の売れ行きが伸び悩んでいるのは、飲んだあとが「きつい・つらい・重い」ためだという。 そこで「水を肴に酒を飲め」と書こうとした。しかし、古い酒飲みには「酒道に反する」と嫌われそうなので、あえて酒と水を入れ替えてみたのである。

       要するに酒を飲むときは、水をたくさん飲んで欲しいのである。 松井は、いつも15度以上の冷酒を飲むが、ここ30数年、二日酔いを味わったことがない。

  6. 蔵前ジャーナルのbook紹介

       最後になったが、大岡山にデビューした蔵前会館に「水の言葉辞典」を献本(7/31)した。 その結果、Kuramae Journal 2009年no1015の 「book欄」 に、本の写真入で紹介された。原本は同館4階の談話室にある。

       大型の書店の撤退や規模縮小が目立つ。 公立の図書館は予算削減とやらで、置いてくれる所が減りそうだと聞いた。

       最近はどの図書館でもコンピュータで蔵書を検索できるようになっている。機会があれば「著者 松井健一」で検索してみてほしい。 たとえば、松井の住んでいる世田谷区には区立図書館が10数か所もあるが、鶴巻にある世田谷区立中央図書館には「水の言葉辞典」を「水の不思議」とともに置いてくれている。区内であれば最寄の図書館に2日で配送してもらえるという。 〔完〕

2009年11月1日
                                  松井 健一(藍友会)

このたわごとのコメントは、「こちら」のページにお書きください。