平成20年6月13日から20日まで、往復を含めて8日間のトルコの旅をクラブツーリズムのツアーに個人参加して行ってきた。イスラムの国への旅は2回目で、前回のエジプト旅行では機内のアルコールサービスがありますというカタール航空の宣伝文句に乗ったのが運の尽き。機体の問題とかで関空での出発が半日も遅れたため、ドーハで乗り継いでエジプト中部ルクソールへ行く予定の便は既になく、ドーハで泊らなければならなくなった。ドーハを首都とするカタールではアルコールの国内持ち込みが禁止になっており、市内のホテルに泊るための入国手続きで、スーツケースまでレントゲンを照射して調べられた。エジプトのホテルの部屋で飲もうと思ってスーツケースに入れていたウイスキーを見つけられ、預かると言われてしぶしぶ提出。翌朝出航のときにそれを返してくれたが、時間が掛かってツアーの同行者にたいへん迷惑を掛けてしまい参った。正にドーハの悲劇である。
   トルコはイスラムの国であるということで、エジプトで懲りたことからトルコ旅行を一寸躊躇したが、本で調べてみると、欠かさずお祈りをする人は少数派で、お酒を飲む人も多いらしいので一安心。食事は海外旅行の大きな楽しみであるが、エジプトでは出発の遅れを取り戻すために、昼食も夕食も移動のバスの中で弁当ということもあって散々な思いをしたし、またレストランでも美味いものは少なかった。しかしトルコ料理は世界3大料理の一つといわれているので大いに期待した。

   成田空港から正午過ぎのトルコ航空機でイスタンブールへ直行。機内食のトルコ料理は美味く、これから先の旅が楽しみになった。飲み物は早速「ラク」というトルコ独特の酒を試飲した。ラクについては後で詳しく述べる。航空機は暗くなる前に到着してホテルへ。

   翌朝イスタンブールを発って国内航空でトルコのほぼ中心部にあるカイセリへ。空港から望む標高3900余りの独立峰エルジェス山は雪を被っていて美しい。バスに1時間余り乗って奇岩で有名なカッパドキア(人口10 万)へ着く。この辺りは砂漠みたいに雨が少ない所だが、標高が1200mほどあるため冬には雪が2mも積もるので雪解けの水で人が住めるようである。イスラムに占領される前に住んでいたキリスト教徒が身を隠すための洞窟が、いたる所にあった。奇岩のキノコ岩は火山灰が降り積もってできた凝灰岩の上に溶岩が流れ、凝灰岩が侵食されて出来たものである。奇岩の地域は見渡す限り広い。

   翌日は先ずカッパドキアの絨毯工場を見学。羊毛の絨毯の他に絹を使った目の細かい見事な絨毯も織られていた。今日はバスに乗っての大移動で、コンヤ経由で合計9時間近くも移動して、やっとパムッカレにある大きな温泉ホテルに着いた。其処ではちょうど割礼の前夜祭が行われていて、10歳ぐらいの男の子がホテル客も含めて何百人もいる大勢の客に向かって愛嬌を振りまいていた。

   次の日の朝は先ず近くにあるパムッカレの石灰棚の観光。温泉水に含まれるカルシウム分が析出硬化した石灰棚は白く美しく、広大で見事なものであった。午後はエフェス(エフェソスともいう)の遺跡の見学。この遺跡は日本ではあまり知られていないが、西欧ではイタリアのポンペイに劣らず有名らしい。紀元前11世紀から建設された大規模な見事な遺跡で、キリストの死後、使途ヨハネが聖母マリアを伴って余生を過ごしたそうだ。
   夕方はトルコ第3の都市イズミールに近いエーゲ海を望む海岸レストランで、30cm近い黒鯛をまるまる1匹グリルしたものを賞味した。実に美味かった。

   トルコの食べ物について少し紹介したい。バスに乗ってトルコ国内を長距離走ると、何と行ってもオリーブの樹が圧倒的に多い。またあんず、サクランボ、桃などの実がなっている果樹が多いのに驚く。サクランボは安く、ジュースにもされているので何回も飲んだ。野菜もいろいろ作っていて国産の材料で殆どの料理ができると現地ガイドの人は言っていた。料理は世界3大料理の国の一つと言われるだけのことがあって、手の込んだ料理の種類も多く、トマト、ナス、豆類をベースとした料理が特に美味しかった。魚も黒鯛の他、アンチョビ、鯖、鯵、烏賊など種類が豊富で、肉は羊、鶏、牛などを使ったケバブ料理も多かった。ホテルの朝食はビュッフェ(バイキング)であるが、種類が多くどれも美味そうで選ぶのに困った。メタボにならないよう普段から節食しているのだが、ついつい食べ過ぎて旅から帰ってきたら1kg太っていた。
   ヨーグルトは種類が多くそれぞれ美味しくて、またドンドゥルマという伸びるアイスクリームが珍しかった。ラン科の植物の根を粉にしたものが入っているのだという。

   酒はバスが途中休憩するガソリンスタンドのコンビニにも、だいたい置いてあり入手の心配はなかった。トルコの国民酒といわれているラクはアルコールが45%もある強い酒で、水で割ると白く濁る珍しいものでライオンのミルクと言われている。透明な酒がなぜ水で割ると白く濁るのか、今回の同期会幹事等の慰労会にこの酒を土産に持って行った時、坂本宗仙名誉教授が早速「もしかするとフーゼル油が濁るのではではないか」と言った。さすが理学博士である。この酒の原料は葡萄とアニスというせり科の野菜と言われており、その蒸留酒だ。現地のガイドが「ラク」を飲み過ぎると体が「楽」でなくなると言っていた。その時は駄洒落かと思ったが本当の話かもしれない。(フーゼル油:C5,C4アルコールなど)

   温泉プールの付いたイズミールの大きなホテルを後にしてベルガマ遺跡へ。この遺跡の大半はベルリンにあるペルガモン博物館に持って行かれてしまって、神殿の一部が残されてはいるが寂しいものだった。その後トルコ家庭料理の店で美味そうなものを各自幾つか選んで昼食。私はどれを食べても、美味い!の連発だった。トロイの木馬で有名なトロイ遺跡を見てからダーダネルス海峡を望むチャナッカレのホテルへ。ホテルは海辺りにあって、夕食後ホテルの庭から海峡の向うの山の端に沈む夕日を眺めてから、ホテルの前の大きなスーパーへ買い物に行った。サクランボやあんずはパックで売っていて驚くほど安かった。買い物をしていると彼女を連れた若者が上手な日本語で話しかけてきた。チャナッカレ大学の日本語学科の3年生だと言う。私の名前と日本の何処から来たかと聞いてくる。

   トルコ人は親日的な人が多く、日本語を上手に話す人が多い。しかも発音が自然で分かり易い。トルコ語は文の構造も日本語とよく似ているので、彼らにとって日本語はやり易いのかもしれない。しかしホテルのフロントは日本語を話せる人が意外に少なく、英語を使わなければならなかった。トルコ語のアルファベットは29文字あるが、1文字ほぼ1音の表音文字なので覚えれば読むだけなら直ぐ読める。トルコ語で「いくらですか」「とても高いですね」だけは覚えて行った。

   毎日よい天気が続いている。いよいよダーダネルス海峡を渡りアジアからヨーロッパへ行く。ダーダネルス海峡は狭くフェリーに乗って約30分で渡れる。ヨーロッパ側をバスで4時間ほど走って憧れのイスタンブールへ着く。旧市街はブルーモスク、アヤソフィア博物館、トプカプ宮殿と見所満載で、東西世界の交差点での歴史の重みをひしひしと感ずる。トプカプ宮殿宝物館にあった86カラットの巨大ダイヤモンドは怪しげまでに美しい光を放っていた。グランドバザールを見物してからベリーダンスショーへ。

   前日にグランドバザールの見物を済ませていたので、最終日の出発は10時過ぎになった。それまで時間があったので、ホテル近くの新市街一番の繁華街イスティクラル通りを散策した。通勤時間帯だったこともあるのかヘッドスカーフをした人は殆ど見かけなかった。現地ガイドの話ではイスタンブール市街は経済的に比較的豊かなので、ヘッドスカーフをする女性は少なく、貧しい地方へ行くと多くなるということだった。
   最終日の観光はボスポラス海峡のクルージングである。イスタンブール市はボスポラス海峡を挟んでヨーロッパ側とアジア側にまたがる。アジア側のフェリーが着く所の町名は、なんと「ウスクダラ」である。昭和30年代に江利チエミが歌って有名になった「ウスクダラはるばる訪ねてみたら・・・」という歌があった。今回はウスクダラを見に行けなかったが、歌にあるように「女ばかりの街」ということは、まさかないだろう。

   トルコは観光大国である。ドイツやロシアから地中海、エーゲ海の海を求めてくる観光客が多く、日本からはまだまだ少ないという。今回旅行してみて、私にとってはトルコは海外旅行で最も素晴らし国の一つになった。今後機会があったらもう一度訪ねてみたい。


2008年7月2日
                                  乙部 軒堂

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