平成22年5月10日より17日まで、5泊8日のメキシコ旅行をした。メキシコはホテルの宿泊が5泊であっても、飛行機に乗っている時間が長いために往復で8日掛かる。今回もよく利用しているクラブツーリズムの団体旅行に個人参加した。旅行客は一行33名で、その内個人参加の男性は11名、女性は10名、ペアーでの参加は6組12名で、個人参加者が極めて多い珍しいツアーであった。その理由としては1人部屋追加代金が5泊で19,800円、通常の半分以下の値段であった事に依るものと思われる。昨年のインフルエンザ問題でまだ旅行者が多くないために、ホテルは大サービスしたものと思われる。

第1日 5月10日 成田→メキシコ・シティ(泊り)

  航空機はアエロメヒコ航空で、成田を午後3時過ぎに出発してメキシコ・シティまで直行する便である。二百数十人乗りのボーイング767で、座席は横に2人−3人−2人掛けだからエコノミーでもやや楽だった。13時間の飛行の後、時差があるので現地時間で午後2時過ぎにメキシコ・シティに到着。しかし、そこまではまあ早かったのだが、入国審査で2時間も立たされ、市の中心にあるホテルへ着いたのは夕方5時過ぎ。入国審査の時間が掛かり過ぎで大事な時間を損したような感じがした。ホテルの付近にコンビニのセブンイレブンなどがあり、水など安く買うことが出来た。このホテルに3泊する。

  メキシコ・シティは緯度が20度の所にあるから熱帯の緯度である。しかし標高が2,200m前後あるからそれほど暑くはなく快適である。特に夕方スコールが降ると涼しくなり気持ちが良い。街はあまり綺麗とはいえないが、道路には熱帯らしい高木の並木があって緑が比較的多い。私は高い所へ登った時などよく脈を数えて標高の高いことを知るのだが、今回はすっかり忘れていた。高地にいるような感覚が全くしなかったからだろうか。

  夕食はホテル内のレストランで先ずビールと赤ワインを注文した。ビールは日本のメキシコ・レストランなどでも良く見かけるコロナを飲んだが、味はイマイチ。他にボエミアというビールがありそれがなかなか美味かったので、以後は専らボエミアにした。赤ワインは美味くなく、2度と飲む気がしなかった。食事はサルサという辛いソースがあり、それを色々な料理に掛けて食べるるのだが、掛ける量がよく分からず最初からは上手く使えなかった。肉料理は肉が硬いためか、ナイフが切れないことも手伝って牛肉や豚肉を切るのに苦労した。肉料理にはあまり満足しなかった。

第2日 5月11日 メキシコ・シティ見物(泊り)

  二日目からいよいよメキシコ・シティの見物が始まった。メキシコという国は、スペインが占領する以前までの文化と、占領以降の文化とが現在もよく共存している。市の中心部にはソカロという中央広場があり、その前には大きな教会・カテドラルが建っている。メキシコ・シティの大きなカテドラルの隣には国立宮殿があり、回廊を埋め尽くす有名なリベラの壁画に圧倒された。壁画はフレスコ画で素晴らしい。

  市内から北50kmの所にあるテオティワカン遺跡に向かう。遺跡の直ぐ手前のレストランで昼食となったが、レストランの広い敷地の入り口にジャカランダの木が数本あり、薄紫色の花が満開だった。ジャカランダの木がメキシコに有ることは聞いていたが、もうシーズンは終わっているものと思い、期待をしていなかっただけに我々一行は大喜びだった。

  昼のレストランではギターとボーカルの2名の生演奏が入った。ラテン音楽が好きな私は、トリオ・ロスパンチョスが来日した時には演奏会を聞きに行ったものである。ここでの演奏は有名なメキシコ民謡で、私の好きな歌シェリト・リンドから始まった。ギターもボーカルもなかなか上手く、メキシコ人は声のよい人が多いようだ。昼食の料理ではウチワサボテン(うちわのような形をした厚さが10mm位のサボテン)の葉のサラダ、豚の皮を揚げたチチャロンという珍しい物を味わうことが出来て満足だった。

  テオティワカン遺跡は紀元前2世紀頃から8世紀頃までのもので、小さな石を積み上げたピラミッドが中心になる。エジプトのものよりスケールは小さく、あまり尖っていないので数十メートルの頂上まで容易に登れる。そこは宗教行事が行われていた場所らしい。

  その後、市内に戻って国立人類博物館の見学に行った。これはメキシコ古代遺跡を大集成したもので、これまでに殆ど眼にしたことが無かった珍しい発掘品などが膨大に集められ展示されている。興味深い物が沢山あるが、当日はそれまでにエネルギーを使い果たして疲れてしまっていたので、現地ガイドさんの解説もろくに聞かず、後から展示物の写真と解説の本を買ったが未だに殆ど読んでない。後からだとなかなか読んだりしないものだ。

  ホテルに戻り夕食。ビールの他にメキシコの白ワインを飲んでみた。味は先ず先ずだが、特に飲みたいものでもない。食事の時は、酒好きの個人参加男性3人と気が合って以後グループとなった。

第3日 5月12日 プエブラの見物(メキシコ・シティ泊り)

  前日の夕方暗くなってからスコールがあり、朝から良い天気になって爽快である。先ずは国立自治大学の壁画(世界遺産)を一寸見てから、120km東にある隣の町のプエブラへ。プエブラの標高も2,200mのメキシコ・シティとほぼ同じだが、そこへ行くには標高3,100mの峠を越えなければならない。峠越えでも道がよいので一気に行ける。私の腕時計は標高が分かるプロトテックなのでそれを見ながらバスに乗っていた。標高3,100mになっても、あたりの樹木は平地とあまり変わりなく、さすが熱帯である。途中万年雪を抱いた5452mの高山や、富士山をもう少し尖らせたような活火山も見えて、なかなか景色がよかった。

  プエブラは植民地時代に栄えた美しい街である。サントドミンゴ教会を見学したが、黄金や宝石を豊富に使ったそれはそれは美しい贅を極めた礼拝堂があり、そのような建築物が植民地時代に造られたことは驚きであった。

  プエブラはグルメの町としても有名で、特に名物は郷土料理のモーレ・ポブラーノ。カレーライスのようなものだが、カレー粉ではなくカカオの粉をふんだんに使ったチョコレート色したものである。味わいながら食べてみたが、何処が美味しいのかよく分からなかった。 昼食をとった場所は大きな有名なレストランで、4人の楽団演奏のサービスが有った。ギターの他に笛とパーカッションが入り、なかなか上手かったのでその楽団が出しているCDを1枚買って来た。この旅のよい記念になっている。

  メキシコ・シティ戻って、夕食はホテル歩いていけるフォコラレという有名なレストランで、歌と踊りのショーを楽しんだ。楽団は5−6名でギター、ギタロン、パーカッション、ボーカルなどで、その他に数人のタップダンスと民族舞踊がある。ギタロンという楽器はギターのお化けのような物で、低い心地よい響きだった。楽団にバイオリン奏者が居なかったので、この楽団がメキシコの代表的な楽団形式であるマリアッチと言えるのかどうか、確かめなかったのが心残りになっている。音楽の演奏とタップダンスは、拡大した音が大き過ぎる(今の日本もそうだが)のにはうるさくて閉口した。しかしバンマスらしい人の裏声が素晴らしかった。さすがトリオ・ロスパンチョスを生んだメキシコである。食事もタコスや、メキシコ名物のアラチェラステーキなど良かった。

第4日 5月13日 メキシコ・シティ→メリダ(泊り)

  早朝4時にホテルを出発して、30分足らずで空港に着き、6時20分離陸のメリダ行きの国内機に乗る。チェックインなどに時間が掛かり過ぎで、メキシコ人はスローモーだから30分以上も朝早く出かけなければならない。

  8時にユカタン半島のメリダへ到着。メリダは北緯21度ぐらいでメキシコ・シティよりやや北にあるが、海抜はゼロメートルに近い熱帯であり朝から暑い。見た事もないオレンジ色の花を一面につけた高木などがあって美しい。メリダはマヤ文明の発祥の地で遺跡が多く残っており、混血していないマヤ人が今でも3,000人ぐらい住んでいるという。早速バスに乗って市場の見物。市場は野菜、果物、肉、魚などを中心に何百という小さな店があって賑わっている。唐辛子より桁違いに辛いと言われている特産のアバネロ(英語読みではハバネロ)も売っていた。ピーマンより小型のアバネロは丸っぽく、色は緑っぽい物からオレンジ色、赤っぽいも物までいろいろ有った。マンゴーなど熱帯の果物も極めて安い値段で売っていた。またタコスの皮を作るトウモロコシの粉を練ったものなども売っていた。売っている女性たちはマヤ人が多いと言われており、日に焼けてかなり色の黒い人が多かった。なおメキシコの民族構成は60〜80%が先住民とスペイン系白人の混血で、残りの40〜20%はスペイン系白人と先住民で、それぞれ同じくらいの人口と言われている。

  ウシュマル遺跡はメリダの南方80kmほど南にあり、7世紀頃栄えたマヤ文明の代表的なもの。石造の神殿、宮殿、尼僧院などが荒れた形で残されている。ここの見学は非常に暑かった。当日は曇っていたので38℃位だったようだが、前々日は43℃にもなったそうだ。熱帯地方は梅雨入り前が一年で一番暑い時期で、今は丁度その時期にあたる。

  ウシュマル遺跡の近くにあるマヤ人の民家を訪問。今も残るマヤの生活を少し見せて貰った。写真はトウモロコシの粉を練ったものを、手で薄く延ばし丸い形にする。奥の方(写真右手)に見える鉄板でそれを焼いてトルティージャを作っているところ。直ぐ焼けるので少し食べさせて貰ったが素朴な味である。 メリダ市に戻って市内を見物。オーラン病院という大きな病院の正面玄関前には、野口英世の記念像がほぼ実物大で立っていた。メキシコでは日本人は歓迎されている。日本以外の東洋人で観光に来る人はまだ少ないという。

第5日 5月14日 メリダ→チチェン・イツァー →カンクン(泊り)

  メリダのレストランの朝食もバイキング形式で、メリダは熱帯だから熱帯のいろいろな果物がオンパレード。初めてみる茶色っぽいマメイという大きな果物を一切れ食べてみたが、美味いとはいえなかった。美味い果物はマンゴーにしろ、パパイヤにしろ、アボカドにしろみな輸出されている。バナナを食べてみたら、現地ならではの完熟バナナなのだろうか、たいへん美味かった。朝食は果物だけでお腹がいっぱいになりそうになった。

  メリダから東へ100km余り、マヤ文明の最高の傑作と言われるチチェン・イツァーを見物した。大規模な遺跡で、年2回、春分と秋分の日にククルカン(羽毛の蛇)が降臨して階段側面に影となって現れることで有名な、石造の大神殿エスカルティージョは美しい建造物である。9世紀に作られたものという。またマヤ文明は天文学が驚くべきほど発達していたと言われている。

  広い遺跡にはアメリカからの観光客が多く、背中に大きくFUKUDOMEと書いたTシャツを着た大きなおじさんもいた。シカゴから来た人だろうか。

  昼食は近くの舞台付きの大レストランで取り、そこの舞台では民族舞踊を踊っていた。リズミカルな踊りだが、舞踊にあまり興味がないのでよく分からない。

  レストランに並んで売店があり、テキーラなどを売っている。グサノというテキーラの原料のリュウゼツランに棲息する芋虫がビンの中に1匹入っているものもある。芋虫は元は赤かったらしいがビンの中では既に白くなっていて、桑を食べる蚕を細めにしたような形だ。テキーラを注いで、たまたまこの芋虫がグラスに入れば幸せを呼ぶと言われているそうだ。1本買って来たが未だ開封していない。芋虫にそんなに抵抗は無い積りなのだが。

  テキーラのアルコール度は40度ぐらいで、グラスに塩をつけてストレートで飲んだり、ソーダやコーラで割って飲んだりしているが、味にあまり特徴がないので特に美味いとは私は思わない。

テキーラをベースにしたカクテルにマルガリータがある。

  バスに乗って更に2時間あまり東に進み、メキシコの最東端、カリビアン・リゾートとして有名なカンクンに着いた。夕方のカンクンの海は殊更美しく、さすが多くのアメリカ人が憧れるリゾートであることに納得。白い砂浜と青い海のコントラストがよい。日本で良いとされる白砂青松ではないが、どこまでも白い砂浜が続く長い海岸と、遠くまで繋がった白いホテル群が美しい。私達が宿泊したホテルは各部屋から海が直ぐ前に眺められる贅沢なホテルであった。海岸は既に真夏だが客は少なく、砂浜に設けられたベッドタイプの長椅子は殆どガラガラだった。まだ観光客数は回復していないから安く泊れたのだろう。

  ホテルのレストランは高級観光地らしく、洗練されていて美味しいメキシコ料理を食べる事が出来た。アペリチフにはテキーラのカクテル、マルガリータを注文した。白いマルガリータはなかなか美味かった。肉料理は既にナイフで切られているので、それまでのように切るのに苦労する事はなかった。料理はそれまでで一番美味しく、さすがアメリカ人相手の世界的観光地である。料理に必ず付くサルサというソースはやっと慣れて来て、味の薄い料理にはそれを加えて楽しんだ。サルサは量を少し多くすると強烈な辛味が口の中に残るので、聞いたところアバネロが入っているとのことだった。またいつも料理に必ずといってよいほど大皿にはグリーンのペーストが付くが、それはメキシコの代表的な料理ワカモレで、アボカドをベースとして作ったものだ。

第6日(第7、8日) 5月15日(16、17日) カンクンからメキシコ、ティファナ経由→成田

  今日は昼過ぎまでフリーな日で、オプションのバスツアーでトルム遺跡まで行った人もいたが、参加した人は少なかった。初め私はホテルから数キロ離れたカンクン市の中心街まで、見物に行きたいと思っていたが、朝から非常に暑く、ホテルのすぐ近くの商店街で買い物をしただけで遠出はしなかった。今日の午後からの帰りの旅程が長いので、海岸に暫く出ただけで、体力を温存しておくためにホテルの部屋でゴロゴロして、海を眺めたりしたり、久しぶりにNHK(海外放送)のTVを見た。海で泳いだ人も一行の人達の中にはいた。

  ホテルでの昼食後はいよいよ帰国ということになり、これからは長丁場になる。カンクンから先ずメキシコ・シティまで行き、そこで乗り換えて成田へ向かう。しかし成田まで直行ではなく、米国との国境に近いティファナに立ち寄る。そこまでの一部の乗客を下ろし、成田に向かう乗客の出国審査をする。メキシコ・シティから成田まで帰りは逆風になるので途中給油が必要になるのだそうだ。ティファナでの出国審査は現地時間で夜中の1時ごろで、審査だけで1時間半も立たされて皆だいぶ不満だった。入国審査でも2時間も立たされ、出国でも長時間立たされて、メキシコの入出国の時間の掛かりすぎに皆不満だったようだ。

  ティファナから成田までの搭乗時間は13時間ぐらいで、数時間の睡眠は取れたもののカンクンからスタートした道のりは、とても長く感じた。しかし疲れは心配していたほどでなく、まだまだ体力は有るなと変な自信が付いたが、それは自重しなければならないところだろう。

  この旅で中南米の一部を垣間見て楽しみ、良い見聞、良い経験ができたものと思っている。

2010年6月20日
                                  乙部 軒堂

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