暫く前になるが友人のH氏から「川柳というもの」と題する一文をいただいた。H氏は私の古い友人の一人で60年以上前から(というのは国民学校入学以来)の知り合いの一人である。頭の良い男で東大の地球物理を卒業し、多くの趣味を持っているが、川柳を創っていたとは知らなかった。現役時代の勤め先で同好会に加わって川柳を創り始めてから30年近く経っているようであった。私も嘗て俳句の同好会に所属したことがあり、月一回の例会に十句の句作が重荷となった経験がある。俳句と川柳はどちらが親しみやすいか、どちらが難しいかを比較されることが多い。分かり易いという面からは川柳に手を上げる人が多いかもしれない。しかし、どちらが自ら創り易いかを問われれば、私は俳句の方が初心者として入りやすいと考えるものの一人である。自分で句作をしないで批評らしきものをするのは後めたいが、どうも俳句より川柳の方が私にとっては難しいように感じられる。川柳というものを定義しないでこのようなことを言うのは適切さを欠くかもしれないが兎角世の中を斜めに構えて観ているという印象があり、それに加えてシニカルな笑みを含んでいることを必要条件とするやに思われている。

    しかし私の感ずる川柳の難しさは少し異なるところにある。先ず句作のモチーフであるが、俳句の場合には人間の素朴な喜怒哀楽をそのままストレートに受け入れるところから句作ガ始まる。美しいものは美しく、悲しいことは悲しく、人間の素朴な感情をそのまま感動として受けとったうえで、その感動を与える対象を見つめなおし、簡潔に表現するために浄化し、尤も適切な用語と季語を選定すると言うのが大まかな作句作業となるのではなかろうか。そして一通りの作業が終わったところで推敲の作業が始まる。十七文字の選定が適切であったか、もっと状況にあった言葉はないか、その組み合わせはどうか。そして自分としては不満足のまま例会に出すことになる訳である。これにたいして川柳ではモチーフを受け入れるときに、もう一度裏から観直して喜怒哀楽のほかに何らかの感興がないかを別の目からあるいは別の角度から問い直すと言うもう一つの工程が必要となるように思われる。世に川柳と称するものの中には単に駄洒落に過ぎないものも数多く見うけられるが、これはおそらく最初の条件である人の心の働きをモチーフとして最もプリミティブな働きに格別の重きを置かなかった所以であろう。おそらくH氏のように長年にわたって川柳を創り続けている熟練者はこのようにモチーフとなったものをブレークダウンして解析してみることはないであろうが、私が川柳の難しいと感じる所以はこのところにある。例を挙げてみると私が彼の句作の中で感心したものの一つに次の句がある。

    おおここに居たかと取出す冷凍庫

    この句の表す状況は、恐らくまだやもめ暮らしをはじめて間のない中老の男性が一人で夕餉の支度を始めようと冷凍庫の中の食材を捜しているところと想定する。確かに買った筈であったが下積みになって紛れて見付からなかった好物を図らずも見つけたその感動を率直に述べたものである。そしてこの句の裏側には思いがけずもやもめくらしをせざるを得なくなった中老の男の寂しさを、「おおここに居たか」というユーモアに包んでさりげなく表現している作者のしたたかさが光っている。そして「取出す」という語が、図らずも好物を見つけたその嬉しさを生き生きとした動作として見せるとともに、本来ならばテーブルの前に座れば夕食の支度が黙っていても始まるその幸せを過去のものとして、自ら厨房に立たざるを得ない現実の悔しさ,寂しさをもにおわせているのである。私の知る限りH氏は一人暮らしではなく、幸せに家庭生活を営んでいる。ここに描かれた情景は頭の中で想像あるいは創造したものであり、彼が現実に体験したものではあるまい。これを虚構といってはならない。H氏の人生経験に基づく世界であろう。

    人生の終盤に差し掛かって幾つかの趣味を持つことは生活を豊にするために大切なことである。そしてその趣味が大掛かりな準備を必要としないでいつでもどこでも実行できるものほど貴重である。川柳や俳句は正にこの条件を満たすものであり、大切なことは自分でやろうと決めることだけである。句作は一時期重荷となって離れた趣味ではあるが、最近また指をおって一七文字をノートに書きつけることが多くなった。H氏のようにこの趣味をこれから30年も続けることも多分不可能ではないと密かに自らに言い聞かせている。


2005年5月27日
                                  内田 安雄

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