高校時代の物理の教師がクラス担任でした。当時テレビ放映で東京大学の金原教授と共に教育番組を担当していました。その先生から「探すものは必ず見つける」という趣旨の言葉(フランス人がどこかで言っていると記憶している)を教えてもらい、それ以来ずっと気がかりで見つけられませんでした。10年ほど前、存命中に電話でこの言葉の出典を直接伺ったこともありましたが、覚えていないとのことでした。

    先月、偶然この言葉と同じ意味のものを見つけました。それは、「偶然は準備のある心の持ち主に微笑む」というパスカルの言葉のようです。出典は、伊丹敬之著「経営戦略の論理」第3版201頁で、技術の一見互いに矛盾しそうな二つの本質、事前の不確実性と事後の論理性についての記述に関連して、ノーベル賞を受賞した田中さんの言葉を引用し、この発見をただの偶然性にしてはならない、と述べた後でパスカルの言葉にこういう言葉があるという、としている。続いて、「開発結果としての技術とは、人間が理解したものごとの論理で、知識の体系として利用可能になったもののことである。その知識の体系を生み出すための努力が技術開発と呼ばれるが、それは自然と社会がもっているきわめて複雑な論理の体系の中に開発をしている人間が切り込んでいって、開発目標のための未知の正解を見つけてくることである。・・・」と述べています。

    昨日の同期会での代表者の挨拶にも仕事を通して戦後の復興に貢献してきたわれわれは、技術と深い関わりを持っていたことを思うにつけて、石油化学をはじめ産業のベースになる知識は限定され、まさに単位操作全盛の時代にこれを武器に技術開発の努力をしてきたということになると思います。2007年問題がクローズアップされてきた今日、技術伝承は団塊の世代に限定したことではなく、われわれの世代は特に厳しい社会生活環境を幼年時から経験してきたことで、知識に飢えてがんばってきたように思います。団塊の世代は一昔目に多くのプラント建設が終了し、高度成長後の成熟期に入社してその後の技術との関わりを持った仕事をしてきた世代です。団塊の世代が育った社会環境も生まれたときからテレビがあり、食料不足など深刻な事態を経験したこともなく、豊かな環境で自由に行動できる時代に仕事をしてした人達で、戦後のベビーブームで大量に生まれ、近く定年退職を迎えることから、その後に続く世代への技術伝承が問題になっています。われわれが卒業してから十数年後の世代ですから、職業観も異なっており、当てられた仕事に専念し、組織内での競争に勝ち抜くために努力する、いわゆる職業人として受け止めることができると思います。われわれの多くがおそらく仕事人(太田肇によれば、組織に属しながらも仕事に対して一体化し、仕事をとおして自分の目的を達成し、それによって自己の要求を充たすことが特徴)として、社会に貢献してきたと自負しており、彼らに代表されるような職業人とは一線を画するものであったように思います。最近の朝日新聞夕刊(05.10.27)の素材産業のリスクと題して、「直接現場にかかわったようなひとたちは、もちろん、操業や設備に関し豊富な知識、経験を持つ世代はその多くは製造現場から去った。・・・過去長期にわたった採用抑制と徹底的に合理化された現場の実情は技術、知恵の伝承を難しくし間近に控える次の世代交代をきわめて深厚なものにしている。設備的にもこの間、大型工場新設などはほぼ皆無だった。だから随分前に建設された工場が主力である。修繕や老朽対策も最小限にしかなされていない。・・・」最近の素材産業の好況で余り費用もかけずにフル稼動して利益を追求すれば大きなけがをする。これこそ、わが国素材産業が抱える最大のリスクである、と指摘しています。このような環境の下での職業人の仕事の仕方では、リスク回避は難しいものと感じます。

    先に述べたパスカルの言葉「偶然は準備のある心の持ち主に微笑む」は仕事人にとって、最も相応しい言葉のように思います。後輩をはじめ次の世代がこの言葉の重要さを認識してくれることを願わずになおられません。

    このパスカルの言葉は、化学装置誌2006年新年号の原稿「技術・技能伝承と生産システムおよびマネジメントとの関わり」の執筆中に偶然発見したものであり、関連する事項を含めて紹介した次第です。現役最後の15年間が教育に関わったことから、最近の若者の行動に気がかりな部分が多く、教訓的な記事を書いてしまったように思います。この記事が2007年問題と関連した話題提供にでもなれば幸いです。


2005年11月20日
                                  梅田 富雄

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