このたび椎名君の尽力により、高島研のアルバムが完成し、先日配布されました。先生の米寿のお祝いの贈り物として、すばらしいものができたとおもいます。関係者以外に未公開ですから、近況についての記述を再構成し、今年のハイライト、ドイツのクラシック音楽鑑賞の旅について述べさせていただきます。

   今年(2008年)3月末、10日ばかり長男夫妻とわれわれ4名で、東ドイツにクラシック音楽鑑賞旅行をしました。ウイーンの楽友会館でメーター指揮、ウイーン・フィルのバルトークを聴いた後、ドレスデンに移動、ドレスデン・シュターツカペレのマーラー交響曲1番を聴き、さらに列車でライプツィヒに移動、ライプツイヒ・ゲバントハウスのシベリュース交響曲2番を聴き、最後にベルリンに移動、ブランデンブルグ門、ベルリンの壁の断片などを見て、ベルリン・フィルのブルックナー交響曲5番を聴き、感動の一夜を過ごしました。旅行中写した写真を少々、そして、若干の感想を述べることにします。

   ウイーンは、過去に何回か訪れた都市ですが、久し振りに元城壁の跡に敷かれたリングトラムに乗って1周、途中下車で、王宮や教会を見物しました。このコースは、シュテファン大聖堂に近いレストランでのウイーナシュニツエルを味わうことともにお勧めです。またCDを土産にしたい向きには、シュテファン大聖堂からオペラハウスに通じるケルントナー通りにあるCDショップがお薦めです。在庫の豊富さは、さすが、ウイーンは音楽の都、という実感を味わうことができます。ウイーン・フィルを楽友会館で聴く初めての経験は、ズービン・メーター指揮のバルトークの管弦楽のための協奏曲ほかでした。この演目にはなじみがなく、舞台右上の座席であったことから、演奏者の動きを手のとるように観賞することができました。すでに多くの読者にはおなじみの場所かもしれませんが、ベルベデーレ宮殿と公園に建つゲーテ像の写真をつけておきます。


   ドレスデンでは、ツヴィンガー宮殿の中を散策、昼食後フラウエン教会や聖十字架教会を訪れたり、近くに流れるエルベ川のほとりを散歩した後、川向こうの小さなショッピングセンターなどを見たりして、のんびりしたひと時を過ごしました。夜の演奏会は、ツヴィンガー宮殿に隣接するザクセン州立オペラ劇場(ゼンパーオーパー)で、ファビオ・ルイジ指揮、シュターツカペレの演奏、ペーター・ツインマーマンヴァイオリンで、ヒンデミットのヴァイオリン協奏曲とマーラー交響曲1番を聴きました。最前列の席で指揮者の過激なばかりの動きに少し違和感を持ちましたが、演奏はすばらしかったです。 ツヴィンガー宮殿は、テレビでも放映されましたが、先の第2次世界大戦のために破壊され、市民の努力でがれきの山からかけらを使いながら再建したものです。歌劇場ゼンパーオーパーも隣にあり、そこから少し離れた所に有名な教会、聖十字架教会やフラウエン教会があります。


   陶磁器で世界的に有名なマイセンは、ドレスデンから列車で40分程度、とても印象的な小都市です。こちらに足を延ばすこともお薦めです。マイセン駅から少し歩くとエルベ川に出ます。川向こうにきれいな大聖堂が建っており、山道にかかる手前までの細い路の両側にみやげ物を並べた店が並んでいます。大聖堂の上からエルベ川を眺めた景色はとても素晴らしいものでした。帰路、橋の上にさしかかったとき、折からの雨が止んで日が差した空に2重の虹を初めて見て感激しました。 マイセンと言えば、陶磁器で世界的に有名なところですが、陶磁器は、あまりに高価であり断念し、代わりに香が焚ける木製の人形を購入しました。

   ライプツイヒは、ヨハン・セバスチャン・バッハが音楽人生の半分を過ごしたところ、合唱団の指揮者兼オルガニストとして活躍したトマス教会やその周辺を散策、シューマンやシラーなど有名人が通ったといわれるコーヒーハウスで休息、夜の演奏会場である新ゲヴァントハウスを下見したりして過ごしました。バッハ像は、よく見ると、ボタンの一つが外れていること(指揮棒を入れるため)、左のポケットがはみ出ていること(空のポケットは貧乏の証拠)など興味深いものです。

   夜の演奏会は、ミネソタ管弦楽団常任指揮者オスモ・ヴァンスカがゲヴァントハウス管弦楽団を指揮し、シベリュース交響曲2番を演奏、北欧出身の指揮者による演奏は実感がこもっていて、すばらしい感動を覚えました。ミネソタ管弦楽団はかって留学していた1964-66年には、ミネアポリス管弦楽団と呼ばれ、最近わが国で活躍しているスクロヴァチェフスキーが常任指揮者をしていました。その後、大植英次氏が指揮を務め、現在オスモ・ヴァンスカが指揮者になっています。 ベルリンは、とても道幅が広いのが印象的でした。都心にも同じことがあったかどうか知りませんが、かって、戦闘体制を整えるために、アウトバーンは、戦闘機が下りることを想定して建設したということを聞いたことがあります。勝手な想像ですが、ベルリンも同じ考え方を秘めていたかもしれません。

   ベルリンといえば、東西ドイツを分断していた壁が1989年に崩壊、冷戦時代の象徴であった検問所、ブランデンブルク門を見過ごすわけには行きません。いろいろな印象を持ちましたが、さほど門が大きくなかったこと、門の周辺はかなり観光地化して俗っぽくなっていて、ナチスの服装で一緒に写真を撮らせるビジネスもあるかと思えば、スーベニアショップでは、崩壊した壁のかけら?をつけた絵葉書、歴史的な場面を写した絵葉書など、様々な観光客への対応も抜かりなくなされていたのが印象的でした。1989年の壁の崩壊直後に訪れていれば、全く異なる印象を持ったことは十分に想像されることです。「ものの見えてくる過程」と題する本がありますが、まさに物事は整理された後ではかなり異なる理解しかできないことを思い出させられました。

   食事について一言。日本のデパートでのレストランとは大いに異なり、あるデパートの最上階にあるフードコートでの食事はすばらしいものでした。たまたま季節のものであるホワイトアスパラガスが出荷し始めたときで、ウイーン郊外のハイリゲンシュタットで白ワインを飲みながら新鮮なものを始めて味わい感激しましたが、その味を再びドイツでも味わうことができました。屋内広場の周辺にイタリアン、中華なども含め、種々の食材を並べ客の注文に応じて料理する店が並んでおり、その場で注文すると新鮮な野菜や肉を料理してくれます。アスパラガスも同様;待つこと少々、茹でたてをテーブルに持ち帰り、ワインとともに味わいました。

ブランデンブルグ門
   この写真は東側から撮影したもので、この前で、注文に応じて、当時の軍服を着て記念撮影に応じるビジネスを展開しており、時の流れを実感させられました。

   ベルリンでは、最初の夜に、ベルリン国立歌劇場(ベルリン・シュターツ・オパー)でロッシーニのオペラ「セビリアの理髪師」を観て、次の夜に、ベルリン・フィルを聴きました。歌劇場は、伝統的な内装、落ち着いた雰囲気でしたが、舞台はシート一枚での情景表現をしようとする簡単なものに驚かされましたが、最前列の席で細かい表情まで見え、とても楽しく観ることができました。 ベルリンフィルハーモニーでのベルリンフィルハーニー管弦楽団の演奏会では、想像以上の感激、演奏会場の音響のすばらしさもさることながら、今まで聴いたことのない迫力に圧倒されました。ブロムシュテッド指揮、ブルックナーの交響曲5番を聴き、今更ながら、演奏する個人がまさにプロであり、力強い演奏と全体の調和のとれた響きは、現場でなければ実感できないものであるという思いを強く持ちました。コンサートマスターとして今でも活躍されている安永徹氏を目の当たりにして感無量でした。

   以上、今年の春にドイツを旅行したときの報告でした。


2008年11月24日
                                  梅田 富雄

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