長い間、専門書を始めとして、教養を高めたり、興味本位で読書をしてきました。その結果、かなりの数の本が貯まってしまいました。床が抜けそうなこと、未整理のまま積んであることなど、そろそろ整理しようと思い、今後読むことがないと思われる本を数冊持参して古本屋に行きました。本との別れは、いろいろ複雑なもので、思い出もあり、懐かしさから手放したくないとの衝動に駆られたりします。
   先日の編集会議で、この辺の経験談を話したところ、記事を書くようにとの依頼を受けました。そこで、思いつくまま、本とのつきあいなどを書いてみようと思います。

まずは本との出会いから
   大学1年の鶴見先生の哲学概論での宿題を覚えておられいるでしょうか? 社会との接点があった最年少の時のことをまとめることだったと記憶しています。真珠湾攻撃の朝日新聞の記事をテーマにしたと思いますが、同様に、本との最初の出会いは、5歳の時に母親と妹とともに浅草の今半近くの本屋でのこと、私がなかなか本の選択ができずに叱られたことを思い出します。「幼稚園」とかの雑誌だったと思います。
   もう一つ忘れられない思い出は、大学4年頃に海賊版の化学工学関係の参考書をよく購入したことです。Perryの「Chemical Engineering Handbook」もそのひとつで、ずいぶん長い間、手元にありました。Bird et al 「Note on Transport Phenomena」は今でも手元にあり、昔を思い出します。最終版はアメリカの大学院での教科書になり、留学時代にはずいぶん苦しめられましたが、良い勉強をさせてもらいました。
   さて、多くの場合、専門分野の本は、予め、何らかの情報があって、本屋で一読して購入するか否かを決め、ついでに関連する本に当たることが多いですが、私の場合、圧倒的に本との出会いは、「本屋のはしご」の結果、興味ある本を見つけることで、ここから特定の本とのつきあいが始まります。2,30年前に文芸春秋のコラム?欄に樋口氏が「本屋のはしご」と題する話を書いておられ、どんな内容であったかは全く忘れてしまいましたが、タイトルだけは今でも鮮明に憶えています。本屋のスペースが限られているので、必然的に本屋の主人の好みを反映した本が店頭に並ぶことになると思います。したがって「はしご」をしないと自分の望みが満たせないことになります。「本屋のはしご」はやり出すと辞められなくなるほど魅力的なものです。海外出張でもよく本屋を探して、直接購入のメリットを生かして大量に購入したものです。ニューヨークのラジオシテイの前のMcGraw Hillは楽しいところでした。大学を訪れたこともしばしばで、大学の購買部に立ち寄ることも目的の一つにしておりました。したがって英語圏以外では、英語の本のコーナーを探し、大方収穫がないまま、帰国することが多かったように思います。最近では、Amazon からのネット購入がほとんどですが、入手して当てが外れることも時々起ったりします。「本屋のはしご」をやっていると、本屋のどのあたりにどんな本が並んでいるかが、直ちに分かるようになりますが、本屋も売れ筋を考えて時折配置換えをやりますと、面食らうことになります。最近はそのようなことが増えているように思います。専門分野の本の出版社の知人などの話では、とにかく、本が売れない、と嘆いています。数年前から学生も教科書を買わなくなっています。一寸知りたいことはインターネットで手に入る世の中ですから、本を買わなくても済ませることができるわけで、出版側も売れる本を作ることに重点を置いているようで、特に工学関係の本で、質の高い専門書はなかなか出版されない時勢になりました。この辺、海外とはかなり事情が違っており、専門書は洋書に頼ることが多くなりました。わが国では、特に本の寿命が短く、すぐに絶版になりますから、当面読む予定がなくても買っておくことも必要にあります。時にはもしかしてあるかもしれないと希望をいだきながら、神田の古本屋を探索することもあります。古本屋と言えば神田神保町が有名なこと、ご承知のとおりですが、受験生時代にもしばしば自転車で訪れたこともあり、例えば海軍兵学校の入試もんだなどを集めた受験参考書を購入した覚えがあります。今でも時々ぶらつきたくなり、何かの折に出掛けたりしています。

次に本とのつきあいに、話を移します。
   専門書では、今でも買って一読した後、何かにつて調べる時に必要になることがしばしばで、古くなっても捨てられないまま、多くは積んでおくことにしています。専門分野でも、本の内容も流行があり、特定分野で未だ広く知られていない頃に出版された本は、概して丁寧に内容が紹介されていり、貴重なものなっている場合が多いようです。欲しいと思っていた未購入の本に出会ったときは、ある種の感激をおぼえます。特定分野の事柄について調べていると、多くの本が引用している原典が明らかになり、これを永久的保存として扱うことが必要と判断することになります。後々、本の処分をするときには迷いなく手元に置く本になるわけです。たまたま手元にはなく、欲しいと思っても絶版ということを経験することもあり、後日、古本屋で見つけたときはやはり感激します。 古本屋と言えば神田神保町が有名なこと、ご承知のとおりですが、受験生時代にもしばしば自転車で訪れたこともあり、例えば海軍兵学校の入試もんだなどを集めた受験参考書を購入した覚えがあります。今でも時々ぶらつきたくなり、何かの折に出掛けたりしています。
   研究のために、専門書と付き合うことが圧倒的に多いのですが、それぞれ個性的に付き合い方が違うと思います。私の場合は、付き合い方がパターン化しており、洋書も含め、多くの場合10冊程度を机の上に置いて、関連個所にポストイットを貼り付け、後でそれらの個所を読み比べ全体像を掴んだ後、その中で特に重要なものを熟読吟味するような付き合い方をしております。時折、何か欠けていて論文に迫力が感じられないときは他に関連分野や科学哲学、問題解決の方法論、その他抽象的であるが何か訴えるものを含む本を開いたりします。多量の本をうまく整理していないために、目的の本を探す無駄も結構多く経験しています。本の並べ替えは禁物というところでしょうか。
   研究に関係がない本については、特別に何かの理由でということはなく、手元に積んである、いづれ読む予定の本から気の向くままピックアップして読んでいます。

最後に、本との別れについて
   不要になった本の整理は結構難しい仕事に思えます。今朝の朝日新聞(2009.8.4)に身辺整理の連載記事がありました。必要なものと、不必要なものを、それぞれ選んでいけば必要なものの順序が決まる、という当然のことが述べられていました。該当する本について今後予定分野には含まないと看做す決心がつけば、話は簡単ですが、興味の赴くままに残そうとするのはそろそろ辞めにすべきと考えるようになりました。

さて、整理の仕方ですが
   古本屋に出すことにして、数件当たってみたところ、次のことがわかりました:
2年以内に出版された本は少し値が付く、3割程度か?岩波新書などはそれ以前ものは無価値、現代思想などの雑誌は50円から100円、かなりしっかりした定価が2万円程度の事典類は3000円程度、経済・経営関係の本は最近のも以外はほとんど無価値、ちなみに5000円の定価の金融工学(訳本)は300縁で購入した経験からもこの辺のことが想像に難くないと思います。工学書を売ることについてはほとんど期待できないと思います。手放す時には、本は情報提供が目的で、個人によって価値が全く異なる点を思い知らされます。

   思いつくままに、本にまつわる話を書きました。本屋をぶらつくのは結構楽しいもので、東京駅近辺では、丸善OAZO, 丸善日本橋店、八重洲ブックセンターなど、途中、本屋の中や、近くのビュッフェスタイルでの食事もしながら、散歩にはもってこいの場所と思い、しばしば実行しています。後のフォト参照。 ダラダラと書きました。最後まで読んでくれた方には感謝、何かの参考になれば望外の幸せです。



2009年8月8日
                                  梅田 富雄

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